aihachi’s diary

2016年元日スタート。日々の生活で面白いと感じたことを書けたらいいなぁ。現在の関心事:フィギュアスケート、クラシック音楽

9ヶ月振りのスケート教室

 昨年の5、6月、7回のみ通った埼玉アイスアリーナのスケート教室。この4月から復帰し、8日に行ってきました。今回は気分を新たにマイシューズを携えて。

 川越のスケートリンクの閉鎖に伴い、川越のインストラクターも合流し、スケート教室の体制も変わりました。昨年入っていた60歳以上のシニア教室はなくなり、アダルト教室に入りました(私の年齢は一応アダルトです)。アダルト教室は、水曜教室と金曜教室があり、11:15~12:00までですが、営業時間内の10:00~18:00はフリー滑走ができるのでお得です。

 定員30名のところ、30名近くいたと思います。出席確認、準備体操、リンクに上がって1周滑った後集合し、〇〇ができる人、とか聞かれて、クラス分けしました。

 今回全くの初心者は1名だったようで、一人のインストラクターがその方について指導されていました。あとはレベルで3つのクラスに分かれました。私は一番下のレベルで、さらにその中で一番できない人であることがすぐに分りました。今年の2月に始められた方が2名いて、私を含め3人だけ赤いヘルメットをかぶって練習しています。後に赤ヘル軍団と呼ぶようになります。私たちはカッコウ良さより安全を選びます。後頭部を激打することになりたくないからです。

 9ヶ月ぶりに滑ってみて、少し怖さもあったし、思うように滑れないな、と思った。他の人ができることが自分はできない、ということがストレスにもなった。

 でもさ、去年初めてリンクに上がった時は、歩くことから始めたことを思うと、今年は滑れるところから始めているんだよね。

 フリー滑走の時に私よりずっと年配の方で、18か月独力で練習しているという方が、2か月でそれだけできれば天才だよ、なんて優しい言葉をかけてくれたりする。

 

『継続は力なり』を信じて、練習することを楽しんでいきたいと思います!(^-^)/

 

 

 

 

Let's be healthy and happy! 今、できること。

 私がラジウム石に関心を持ったのは、昨年の暮れに富士山ニニギ氏の『自然放射線vs人工放射線を読んだことがきっかけです。その後、ニニギさんのmixiのブログ記事を読んだり、2月にラジウム石健康法茶話会に参加してニニギさんご本人のお話を聞いたりしてラジウム石の働きに対する理解を深めていきました。

 そこで、私が以前記事に書いた内容に加筆し、よりよく生かしていただければと思います。

 

 人間が人工放射線を生み出した時から問題が起き始めたわけです。

自然界の放射線は全く害がないというより、その働きよって地球上の生命を維持しています。というのは、自然放射線は生命信号を載せて、細胞内の遺伝子に届けるからです。細胞に異常が生じても、正常に修復します。濃縮されてできた人工放射線ではその生命信号がでたらめになっています。だから、異常が生じるのです。

 植物は低温核融合をしていて、ビタミンを作り出します。天然ビタミンは放射性物質です。健康のために野菜をたくさん取りなさい、と言われていたのは、このためだったのですね。しかし、土壌が人工の放射性物質で汚染されてしまったら、そこで育った植物は汚染されてしまいます。それを食べれば被曝し、健康上の問題が出てきます。全く汚染されていない野菜を食べることは、今の日本で可能でしょうか。

 ラジウム石を知る前に、春ウコンが免疫力を高めて万病に効く、というのを読んで知っていましたが、これも春ウコンの持っている天然の放射性物質の働きであると結びつきました。漢方薬は全て天然の放射性物質を利用したものなのです。

 

自分の身体を守るためにできること。

ラジウム石から出る自然放射線を利用して遺伝子の異常を修復する。免疫力を高め

 る。利用の仕方は、①ラジウム石を風呂に入れて入浴する。②ラジウム石を飲み水に

 入れて、ラジウム水にして飲む。③ラジウム石を患部に当てる。ラジウム石を身に付

 ける。←②のラジウム水を飲むというのが最も効果のある使い方です。

 *ラジウム水に野菜を浸すことで農薬が分解されるという利用法もあるが、人工の放

 射性物質を取り除くことはできない。

〇人工放射性物質から遠ざかる。

〇体内に入ってしまったものは排出する。

 セシウムタウリンを取ることで、入れ替わってセシウムが排出される。

 ストロンチウムストロンチウム(天然)やカルシウムを取ることで、入れ替わって

 ストロンチウムが排出される。

 

以上は、現時点で私が理解していることです。

自然放射線は地球上の全ての生きものの命を育んでいます。人工放射線は全く別物です。

自分や家族の命を守るために、できることからやっていきましょう!

 

 

 

 

 

「親の雑誌」

 今朝テレビを見ていたら、「親の雑誌」を作っている会社のことを紹介していた。親自身が自分史を書くのではなく、子どもが作って親にプレゼントするというものだ。

この会社は高齢者の見守りサービスをしている会社で、見守りの中で聞いていた話が面白かったので記録に残せたら、という発想から生まれたものらしい。

 私も高齢の父の昔話を聞いていてとても興味深いので、記録に残せたらいいだろうな、と思っていた。父が自分で書くことは難しいし、かといって、私も聞いた話をどうまとめたらよいかわからない。そういうところは、プロがインタビューをうまくまとめて書いてくれるんだろうな、と思う。出来上がったものを子どもが読んで、こんな話聞いたことなかった、ここまで詳しく聞いたことなかったということもあるようだ。

 確かに親が人生でしてきたことを全て聞く機会なんかないものね。でもね、その話を聞くと言う部分を、他人に任せていいのかな、という思いが湧いてきた。

 「親の雑誌」は写真も文もとてもきれいにまとまっている。だってプロが作っているんだから。いいもの残せたな~と言う気持ちもなりそうだ。でもね、他人に任せてお手軽に作ってもらうのはどうなんだろう、と思った。

 きれいな形に残せないとしても、年取った親と話しができるうちに実際に会って話ができることがいいんじゃないかと思った。

 

 

お年寄りの昔話を聞こう

 今日のお昼は久しぶりに父と外食した。寒い冬はどうしても部屋の中で過ごすことが多くなり不活発になってしまうので、外食はとてもよいリフレッシュになる。道の駅まで車で行って、駐車場から建物まで歩くのもよい。健脚維持のためのウォーキングは気が進まなくても、食堂に行くためなら自然と歩くことになる。

 父はカレーライスを頼むことが多い。昔どこかのドライブインで食べたカレーライスが美味しかったらしい。そして、その味にもう一度出会いたくてカレーを注文するのだけれど、あの時と同じ味に出会ったことはまだない。そして、「今のカレーはバター風味がない」と言うのだ。

 今日も父はカレーライスを食べた。食べながら昔話をしてくれた。父は山形で育った。父親が50歳ちょっとで脳卒中で亡くなってしまったため母親が女手一つで9人の子どもを育てた。子どもたちは、長男が農家の後を継ぎ、その他の子どもたちは丁稚奉公に出た。父は高等小学校を卒業した後農業の手伝いをしながら遊んでいたが、区長さんの紹介で川崎にある工場に勤めることになった。この辺の話は何度も聞いたことがあった。

 今日は戦争に行くことになったときの話を聞いた。当時は20歳になると徴兵検査の通知が来たそうだ。父は川崎から山形に戻り徴兵検査を受けた。体格があまりよくなっかたので乙種合格だったそうだ。甲種合格なら教育を受けるらしい。乙種だと猶予があるらしいが、既に戦争をしていたのですぐに入隊し中国に行ったそうだ。何月に渡ったのかはっきりしたことは聞けなかったが、8月には終戦を迎えたのだから。あまり長い期間ではなかったようだ。

 徴兵は20歳だが、志願は18歳からできたそうだ。だから、父より2歳下の人まで戦争を経験した人がいるということになる。今年90歳の人までだ。

 父が元気でいてくれるから昔話が聞ける。父の記憶も私の想像力もおぼつかない所があり明確な話として記録できるものではないが、たくさん話を聞いておきたいと思う。

還暦を過ぎてフィギュアスケートを始める人たち

 

 若いころやってみたいと思いながらできなかったことを、50歳とか60歳過ぎてから始める人が多いらしい。子育てが終わって、とか経済的にゆとりが出てきてとかだろうか。フルタイムの仕事を持っている方は退職して自由になる時間が持ててという場合もあるだろう。

 2013年暮れの全日本フィギュア選手権を何気なくテレビで見ていた私の目は、ある選手が画面に映し出されて釘付けになってしまった。演技が始まる前の立ち姿や容貌もそうだったが、演技が始まってそのパフォーマンスに、今のフィギュアスケートってこんなに素敵なのかと心を奪われたのである。

 

 その選手というのは小塚崇彦選手です。それがきっかけでフィギュアを見るようになって、スケーターの皆さんがそれぞれ魅力的な個性の持ち主で、努力家で本当に尊敬し、応援せずにはいられません。

 

 2014年の秋に上尾に埼玉アイスアリーナがオープンした。車で1時間ちょっとのところなのでいつか行ってみたいな、と思っていた。そして、昨年の5月に思い切ってそこのスケート教室に入ってしまった。大人の教室は59歳までのアダルトと60歳以上のシニアの2つあった。私は年齢でアダルト教室に入ったが、そこの生徒さんたちは、ずっと若い方が多く、子どもがフィギュアを習っているので、自分も一緒に滑りたいというような動機の方が多かった。

 私は子どもの頃にスケートをほとんどしたことがなく、しても転んで痛い思いをした印象しか持っていなかった。私のように全く滑れない人も教室に入ることがあるらしく、そういう時はインストラクターが一人付きっきりで教えてくれる。とても親切な 

教室である。インストラクターが、シニア教室はもっと少人数でのんびりやっているので、来月はそちらに入ってもいいですね、とアドバイスしてくれたので、6月はシニア教室に入った。

 シニア教室のメンバーは6名で、何か月か練習している3名と入ったばかりの3名の2グループになり、それぞれにインストラクターがついてくれた。本当に手厚いご指導が有難かった。

 練習後にはコーヒーを飲みながら歓談するという楽しみもある。還暦を過ぎてからスケートを始めた女性の動機は、スケーターの〇〇さんのファンで自分も滑ってみたいと思った、というのが多いような。それプラス運動することで筋力を維持するというのもある。

 でも、いくらスケーターさんのファンでも実際に自分が滑り始めるという人は多いのか少ないのか。それも、還暦過ぎてから。残念ながらシニアクラスのメンバーの人数は増えていない。

 ちなみに私は2か月だけ通って、今は教室に入っていないが、また、やってみたいとは思っている。

 

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父のこと~認知症って?

 私の父は現在91歳。3月が来ると92歳になる。大正13年生まれで戦争に行った最後の年の人だ。

 私が結婚して子どもを3人持ってもずっと共働きしていたので、保育園の送り迎えなど本当によく面倒をみてもらった。父が子ども好きで可愛がってくれたので、子どもたちも幸せだったと思う。

 20年前に妻を亡くし、ずっと一人暮らしをしてきた。我が夫婦は共働きに疲れ、私は5年前に仕事を辞めて専業主婦になった。仕事に束縛されない開放感、それはそれは大きかった。しかし、うまくできていると思う。仕事を辞めた年の前年の秋ころから父は忘れっぽくなっていた。車でスーパーに買い物に行って、どこに車を停めたかわからなくなって往生したり、家に何があるか覚えていないものだから、冷蔵庫に豆腐がたまったりしていた。

 これが認知症の始まりなのかなぁと思って、地元の大きな病院に行って検査をした結果、アルツハイマー認知症と診断された。そして、アリセプトという進行を遅らせる薬を飲み始めた。知り合いの親等も認知症の方はいて、夜中に家を出て行ってしまって探した、とか、警察から連絡をもらって迎えに行った、というような話を聞いていたので、父はこれからどのような道を辿るのだろう、と不安な気持ちをかかえていた。

 さて、約5年後の現在、父の様子はどうかと言うと、父は私を困らせるような行動は取っていない。記憶の面は昔のことは覚えていて繰り返し話してくれるが、さっきのことは覚えていられないようだ。今話していることはわかるので会話は成立している。身体の面は老化が進んでいて、ソファに横になっている時間が多くなったし、食も細くなっている。本人曰く、動かないからお腹が空かない、そうだ。三度の食事を規則正しく取ることはできないが、お気に入りの道の駅に行くと一人前をしっかり食べられるし、天丼みたいな胃にもたれそうなものも好きで食べられる。体重は減って来ていて、筋肉もだいぶ落ちてしまったと思う。歩く時は自分でも転ばないように気をつけようという思いをもっている。

 前にテレビ番組で老衰のことをやっていて興味深く見たが、老衰の時期は食べる量も減るが、食べても栄養を吸収しなくなると言っていた。父もそういう時期に入ってきているのかなと思う。

 父はアルツハイマー認知症の診断を受けているが、高齢になるとそれは老化の症状の一つなんじゃないかと感じている。

インターネットの普及に思う

 インターネットが普及して便利な世の中になったな~と思っている。私は日々の食事の食材は近くのスーパーに買いに行っているが、その他の買い物はほとんどネットで賄っている。

 でもね、便利に感じているのは何歳位の人までかなとも思う。現在50代後半の私は、ギリギリ間に合ったと言う感じなのだ。勤めていた当時、職場にもパソコンが導入されて(40代だったかな)、パソコンの操作に慣れるのは一苦労だった。その頃50代の先輩は、パソコンを使うのを憂鬱そうにしていたのが思い出される。大学を出たばかりの人たちは簡単に操作していたので頼りにされていましたね。

 その時の苦労の甲斐もあって、今、わからにことは多くてもパソコンやインターネットが利用できることは有難いと思う。

 60代以上の方はどうだろう。関心のある方以外は使っていないのでは。携帯もメールじゃなくて電話としてのみ使っているのじゃないかしら。

 なぜ、こんなことを書き出したかというと、私の知り合いの70代初めの女性のことを思い出したからだ。彼女は最近歩行が困難になってきて、外に買い物に行くのも大変。週二回デイケアに通って、リハビリをしたり、他の人と会話をしたりしているが、その他の日は一人で過ごしている時間が長い。

 もし、彼女がネットを自由に使えたら、買い物の苦労はなくなる。メールで友人との話もでる。

 人との会話は、顔を見て直接話すのが一番良いけれど、一日中話さないより、メールでも言いたいことが言えた方がいいんじゃないかと思う。

 だから、私位の世代の人は、高齢になって動きにくくなっても、ネットを利用して補えるところがあると思う。

 じゃ、それ以上の年代の方は、動ける私たちが、出向いていきましょう、ということになります。